オサマをかくまう人々

Radical change for Pakistan's tribal elders
 オサマ・ビン・ラディンを含むアル・カイダの幹部たちが潜伏しているとされ、またアル・カイダ構成員の重要な供給源であるとされるパキスタン西部のトライバル・エリアは今でも族長たちによる前近代的な支配が続いているとされる謎めいた地域である。19世紀にはこの地方に進入した17,000人のイギリス軍が医師一人を除いて全滅させられるなど、尚武の気風が地域の自主性を保ってきたのであり、現在でもパキスタン政府の法は幹線道路を外れてしまえば通用しないと言われている。
 しかし、こういった地域を過度にロマン化することは、もはやできない。かつては熱いおきの上を火傷せずに七歩歩ければ無罪、といった部族法が適応されていたが、現在そういった支配システムが無条件に行使されている部族はあまりない。また、族長の一人メンガル氏は、これまで娘たちにほとんど教育の機会を与えていなかったが、最近はそのことを若干恥じているという。かつて政府の教育関係者を迎えたある族長は「明日の朝、なぜ自分が学校を望まないのか教えよう」といって役人をカモ撃ちに誘った。酷寒の早朝、部族の若者を引きつれて馬上の人となった二人は、首尾よく湖の上のカモを打ち落とした。すると族長の号令一下、若者たちは猟犬よろしく氷のような湖に飛び込み、カモを拾うために泳ぎ出した。族長は役人を振り返り、「教育を受けた後でも、彼らがああいうふうにカモをとってこれると思うかね?」と訪ねたという。
 しかし、今ではそういった考え方は追い出されつつある。彼らが主に密輸で生計を立てているのは、この地域が農耕も困難な貧しい地域だからであり、それを知っている彼らは開発に大きな期待を寄せるようになっている。今や電気や学校は望まれるものであり、しかも徐々に設置されつつある。しかし、こういった流れの中で族長の権威の失墜によってできた権力の空白を、ラディカルなイスラム主義が埋めるというリスクが存在している。記者がパキスタンの監獄で面会したトライバル・エリアの最も奥地ワジリスタン出身の22歳の若者はタリバンとしてアメリカと戦い、「彼らはモスクを破壊し、子どもを殺していた」と述べる。キューバグァンタナモから移送されてきたばかりの彼を、記者はおそらく釈放されればまたアメリカとの戦いにむかうであろうと感じ、彼らのような若者の中に「部族文化の野蛮な暴力とムスリムの好戦性の致命的な結合」を見る*1
 アメリカの圧力によって、パキスタン政府は数万の軍隊を地域に導入し、また空爆をかける事によって地域に潜伏するアル・カイダや外国人兵士をあぶり出そうとしている。しかし、反撃も苛烈で、地域の若者の支援をえた外国兵はすでに数百のパキスタン兵を殺害している。族長たちは交渉を求める、絶望的なアピールを出す以上の事はできないでいる。一方、地域のムッラー(イスラム法学者)に扇動された若者たちは交渉など望んでいない。市場では軍隊が使われた事を非難する歌が聴かれる。歌は「ワジリスタンは数千の破片にと砕かれた。そして、それぞれの破片がイスラムの旗を掲げる」と歌っている。

*1:BBCでもつかいますか、このご時世にそんな差別的な表現…。

 投票しちゃダメ、と政府は言った

Crucial poll fails in Macedonia
 マケドニアで少数派アルバニア人に大幅な自治を認める法律を取り消すための国民投票が行われ、投票率が規定の50パーセントに満たない26.5パーセントだったために不成立。同投票は右派勢力によって呼びかけられ、EUおよびNATOへの加入を望む政府は民即紛争を避けるため、投票のボイコットを呼びかけていた。

 ソマリア新首相誕生

Somali hopes rest with new PM
 アブドゥラヒ・ユースフ大統領の指名によりアリ・ムハンマド・ゲディ氏、ソマリアの新首相に。ゲディ氏はユースフ氏の出身氏族と拮抗するソマリア二大氏族のメンバー。

 新企画 今日は何の日?*1

切り裂きジャックが最後の犠牲者を殺した(1888)
・ナチがドイツとオーストリアユダヤ寺院を襲撃。所謂「水晶の夜」(1938)
シャルル・ド・ゴール死去(1970)
ベルリンの壁を隔てる門が解放される(1989)。翌日から撤去作業開始。